「九尾の狐」

先日。。。
那須高原まで別件で出かけて来ました!
その地が 「九尾の狐」 と縁のある地域だったのですね。。。^^;
もっと認識があれば殺生石に関する場所も見学して来れたのになぁ~007.gif
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二戸市 : 大久保秀樹 氏 所有  「さくら」図も同一袢纏
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国芳 : 「阿部安近祈玉藻前」
      阿部安近 この字で検索してヒットするのは
      国芳の作品名だけだった。。。 ^^;


陰陽師 : 安倍泰親(阿部安近)
安倍晴明から5代の子孫のあたる人物。
ちなみに、安倍泰成は安倍晴明の父親らしい!

正体が九尾の狐であることを鏡を使い
暴露したといわれる一場面。

その後
白面金毛九尾の狐の姿で宮中を脱走し、
行方を暗ましていた。
 


つづき

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三浦介(三浦之介広常)この矢で射止めたらしい!

~略~
三浦介が放った二つの矢が九尾の狐の脇腹と首筋を貫き。。。









出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉藻前 ヨリ



最初は藻女(みずくめ)と言われ、子に恵まれない夫婦の手で大切に育てられ、
美しく成長した。18歳で宮中で仕え、のちに鳥羽上皇に仕える女官となったが、
次第に鳥羽上皇に寵愛され、契りを結ぶこととなった。

しかし玉藻前と契りを結んだ後、鳥羽上皇は次第に病に伏せるようになった。
天皇家お抱えの医者が診断しても、その原因が何なのかが分からなかったが、
陰陽師・安倍泰成(安倍泰親、安倍晴明とも)によって
病の原因が玉藻前であることが分かり、
その正体が九尾の狐であることを暴露された玉藻前は、
白面金毛九尾の狐の姿で宮中を脱走し、行方を暗ましていた。

その後、那須野(現在の栃木県那須郡周辺)で
婦女子をさらうなどの行為が宮中へ伝わり、
鳥羽上皇はかねてから九尾の狐退治を要請していた
那須野領主須藤権守貞信の要請に応え、九尾の狐討伐軍を編成。
三浦介義明と上総介広常という武士を将軍に、
陰陽師・安部泰成を軍師に任命し、8万余りの軍勢を那須野へと派遣した。

那須野にて既に白面金毛九尾の狐と化した玉藻前を発見した討伐軍は
すぐさま攻撃を仕掛けたが、九尾の狐の怪しげな術などによって
多くの戦力を失い、最初の攻撃は失敗に終わった。
三浦介と上総介ら多くの将兵は九尾の狐を確実に狩るために
犬の尾を狐に見立てた犬追物で騎射を訓練し、再び攻撃を開始する。

2度目とあって九尾の狐対策を十分に練ったため、
討伐軍は次第に九尾の狐を追い込んでいった。
最後の抵抗として九尾の狐は貞信の夢の中に現れ
若い女性に化けて許しを願ったが、貞信はこれを九尾の狐が
弱まっていると読み、最後の攻勢に出た。
そして三浦介が放った二つの矢が九尾の狐の脇腹と首筋を貫き、
上総介の長刀が斬りつけたことで、九尾の狐は息絶えた。

だが九尾の狐はその直後、巨大な毒石に変化し、
近づく人間や動物等の命を奪った。
そのため村人は後にこの毒石を『殺生石』と名付けた。

この殺生石は鳥羽上皇の死後も存在し、周囲の村人たちを恐れさせた。
鎮魂のためにやって来た多くの高僧ですら、殺生石の毒気で次々と
倒されていったと言われている。
室町時代、会津・元現寺を開いた玄翁和尚が、殺生石を破壊し、
破壊された殺生石は各地へと飛散したと伝われている。

玉藻前のモデルは、鳥羽上皇に寵愛された皇后美福門院(藤原得子)である。

摂関家などの名門出身でもない彼女が皇后にまでなりあがって、
自分の子や猶子を帝位につけるよう画策して、中宮待賢門院(藤原璋子)を
失脚させ、崇徳上皇や藤原忠実・頼長親子と対立して、保元の乱を引き起こし、
更には武家政権樹立のきっかけを作った史実が下敷きになっているとも言われる
(ただし、美福門院が実際にどの程度まで皇位継承に関与していたかについては諸説ある)。

   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 玉藻前 ヨリ



~Memo~

陰陽師 : 安倍泰親(阿部安近)

安倍晴明から
5代の子孫のあたる人物。
ちなみに、安倍泰成は
安倍晴明の父親らしい!

正体が九尾の狐であることを
鏡を使い暴露したといわれる
一場面。

その後
白面金毛九尾の狐の姿で
宮中を脱走し、
行方を暗ましていた。


[阿部安近]
この字を使っているのは
国芳の作品名だけ?!

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by koubou-yoshizumi | 2009-03-27 19:22 | ●花坊♪(妻1号)のお勉強
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